京都府宇治市の街並み変遷 歴史と自然・文化が織り交ざるまちの魅力

宇治橋
宇治川と宇治橋

 

京都府宇治市は、古都京都に近い場所に位置し、歴史と文化が息づく美しいまちです。宇治川が流れるこの土地は平安時代の貴族や歌人たちに愛され、世界遺産にも登録されている宇治の名水や茶文化などが根付いています。

今年の大河ドラマ「光る君へ」の主役である紫式部や藤原道長にゆかりがある宇治のまち。藤原道長が別荘を構えたことにより藤原氏の別荘地として構造が造られたと伝わりますが、今日は宇治の街づくりについて書いてみましょう。

 


 ★CONTENTS★

 ◇古都・宇治の歴史と文化
  ・国指定文化財等に指定されている街並み
  ・お茶の街・宇治に

 ◇近代以降の迷走

 ◇現代の宇治市の街並み・景観

 ◇まとめ

 

古都・宇治の歴史と文化

春の宇治川と桜
春の宇治川

◇国指定文化財等に登録されている街並み

宇治は重要文化的景観として「宇治の文化的景観」に指定されています。

宇治川は奈良と京を結ぶ交通の途中にあり、古くから変わらず今でも宇治の景観を一望できる宇治橋。初めて架けられたのは646年(飛鳥時代・有名な「大化の改新」の年)と言われ、日本最古の橋の一つとされています。

 

宇治橋の両岸が渡河点として交通の要衝であったため、まずその周辺に集落が発達しました。そして平安時代になり平安京で摂政として権勢をふるった藤原道長が宇治に別荘を構えたことで、貴族邸宅の集中造営と共に街区が形成され、この時の街区が現在の宇治地区の街の骨格を形作っています。

鳳凰堂
世界遺産・平等院の国宝・鳳凰堂(阿弥陀堂)

 

そして国宝・鳳凰堂など数々の国宝や重要文化財を持つ「世界遺産・平等院」を藤原道長の息子・頼道が創建し、その浄土思想の庭園や阿弥陀堂(鳳凰堂のこと)は、その後の日本庭園の歴史・変遷に深く影響を及ぼしています。

 

◇お茶の街宇治に

太閤堤と宇治茶畑
太閤堤の石出し(秀吉の宇治川治水工事の跡)と宇治茶の茶畑

 

平安貴族が衰退・退転していき、鎌倉時代にお茶の栽培方法が伝えられたことで宇治は急速に「お茶どころ」となりました。
千利休が茶の湯を確立した頃には宇治茶は日本一の名声を博しており、江戸時代には茶師たちは特急的身分にまでなり屋敷を持ち、将軍家への献上茶など高級茶の生産でにぎわいました。

宇治の茶文化の中心としての発展は近代まで続き、茶師の系譜を引く茶商をはじめ卸や小売の店舗とともに手工業的な製茶工場が建ち並びました。これらの内数棟は現在でも残っています。

 

近代以降の迷走

◇社会変化で危うくなった近代の宇治

宇治市街
宇治市街

 

近代になっても「玉露」などの高級茶を軸に生産を伸ばし、宇治の町中には茶商の家屋や手工業的な製茶工場などが建てられ、茶に関する特色がある都市景観が形成されました。

明治29年にJR奈良線の前身「奈良鉄道株式会社」の宇治操車場開設や宇治発電所の運転開始などの近代化も、近代の都市景観の形成を支えました。

 

しかし近代化の波の中で、都市計画法や京都府の条例によって景観が保たれていたのは宇治川周辺地域のみで、隣り合う宇治の市街地は保全が及ばず、高度制限のない商業地域などが景観保全の弱点となってしまいました。

それでも古くからの町家が維持され落ち着いた街並みは継承されていましたが、近年の町家減少とともに急激に新建材の住宅やマンションが建設され始め、奇しくも平成6年の世界遺産登録直後に建設が始まった45mの高層マンションは、平等院・鳳凰堂借景の景観阻害を引き起こしました。

平等院の景観阻害
出典:10+1 website
背後に現れた高層マンション。後に植栽で隠蔽された。

 

しかしこれがきっかけになり、景観保全への取り組みが本格化したのでした。

 

現代の宇治市の街並み・景観

宇治橋通

現在の宇治市では、歴史と現代が共存する街並み・景観が見られます。

メインストリートである宇治橋通りは電線の地中化や茶商の表屋の修理などが完了し、県通り(古代の大和大路)の茶師や茶商家屋も保存され、すっきりとした美しい景観が保たれています。

一本路地に入れば現代の建物も多く立ち並びますが、景観計画に則した調和するエクステリアで建てられています。

 

琵琶湖から延びる宇治川は山間を縫って渓谷景観を造り、その両岸を起点に発展した宇治の街並み。
自然と文化の共存が、宇治の景観であり、世界に誇る宝なのです。

宇治橋から宇治川と山間を臨む
宇治橋から、朝霧橋と宇治川山間を眺む

 

宇治橋から山間を眺める景色は、鉄道2路線の駅に挟まれた市街地の中とはとても思えない美しさです。
先日たまたま宇治橋を渡り京阪線に乗った際に、こんな景観はそう多くないと宇治橋の真ん中で感動に身震いした筆者でした。

 

まとめ

紫式部像と宇治橋
紫式部像と宇治橋

 

大変駆け足で簡単に宇治の街づくり・景観について書いてみました。

紫式部の世界的ベストセラー「源氏物語」の最後の十帖は宇治が舞台です。紫式部本人は宇治に暮らしたわけではないようですが、きっと幾度も足を運んだのでしょう。上司に当たる藤原道長はたいそう和歌や文学を貴び文化人を保護したそうで、紫式部は藤原道長も登場人物のモデルの一人にしたと言いますので、宇治を最後の舞台として大切に描き語ったのではないでしょうか?

 源氏物語全てはまだ読んだことがないので、これを機に読み始めてみようと思います。皆様もぜひ、源氏物語から宇治の当時の様子を読み取ってみてはいかがでしょうか?

 

 

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